幼児教室子供の天国・移動教室とは


幼児教室子供の天国|移動教室とは01
日本初の修学旅行が行われたのは、昭和26年5月16日のこと。
渋谷区笹塚小学校から、5台のバスが神奈川県油壺に向けて出発しました。
それ以前にも移動教室や体験学習はそれぞれの団体で行われてきました。
しかし学生がバスにのって移動するというスタイルが始まったのはこの日が初めてでした。
昭和28年5月15日には移動教室協会が発足され、昭和29年6月20日には社団法人日本移動教室協会となりました。
移動形体も、貸し切りバスから修学旅行専用列車ひので号、新幹線へと発展多様化していきました。
修学旅行とは、普段の学び舎を離れて、学生が知らない土地に行き学ぶ旅行のことです。
そこで新しいことや、知識でしか知らなかったことを見聞し体験するのです。
一言で言うと修学旅行とは、体験学習なのです。
今では当たり前になっているこの修学旅行ですが、その原点は、昭和24年7月12日に行われた海洋教室でした。
当時は戦後間もない頃だったので、日本国民全員が様々な心の傷跡を抱えていました。
当然物資も貧しく、心身が心底疲れ果てていました。
先行きの見えない不安が覆い、未来への希望を持ち続けることが難しい時代でした。
日本の復興という目標が国民全てにあり、同時に大人には自分の家族を守るという強い意思がありました。
家族、子供たちのためという意思が明日への活力となり、日々を乗り越えていったのです。
そして当時の教育者には、大人達が奪った子供の未来に対し、深く反省するという心根がありました。
なんとか子供達に希望を見いだして欲しいとの願いが募り、心ある人たちの手によって子供達を集い海洋教室が行われました。
海に繰り出し、冒険心のようなわくわくを実感しながら日本という国を知り、楽しい日本の未来を想像して欲しいと願ったのです。
海洋教室は好評で子供たちは大喜び。
その後も火山教室へと続き、以降も様々な現地体験の教室が行われていきました。
当時その旅行を移動教室と呼んでいました。
それが後に修学旅行と名前を変えていったのです。
この移動教室を創った人たちの発起人とも呼べる人は誰だったのか?
それは入江孝一郎先生です。
「驚き体験が必要である。
そのためには色々なところに出かけて行き、色々なことに出会い驚くことだ。
その中で自分たちの生まれ育った日本を知ることが大切なのだ。」
敗戦からこれから復興を遂げていく日本の子供たちに、こうした強いメセージが入江先生にはありました。
その思いから移動教室が誕生したのです。
先生の行動は参議院鈴木直人議員をはじめ多くの政財界人、教育関係者を巻き込んで次々に実現されていきました。
その活動の半生は、言葉で言い尽くせません。
そして同じ思いのある人であれば、大きく心揺さぶるものです。
入江先生は、惜しまれながら、平成17年1月13日に他界されました。


入江先生との出会い

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入江先生は、移動教室の一貫の中に、神社参拝の啓蒙も行っています。
神社参拝が生活の中にある生き方を続けると、大人にとっても子供にとっても良い心掛けが培われます。
全国の神社を参拝することは、同時に日本国土を知ることにもなります。
日本の中で特に伝統と歴史がある神社を一の宮神社と言います。
一の宮神社は日本全国に97社あり、全社参拝を志している参拝者は日本全国にいらっしゃいます。
そしてこの一の宮神社参拝会の発起人が入江先生なのです。
そして私が入江先生とご縁を頂いたきっかけとなったのが、この一の宮神社参拝なのです。
私は一の宮神社97社を巡り、音楽による奉納参拝を13年前より始めました。
シンセサイザーを神社に運び込み、即興キーボード演奏と歌によって奉納演奏を行うことにしました。
開始するにあたり、私は一の宮神社参拝会発起人である入江先生を尋ねました。
「それはとても良い心構えだね。がんばってやりなさい。」
とおっしゃってくださいました。
暖かいお言葉を頂きとても励みになりました。
そして最期の97社目である、氷川女体神社の奉納演奏参拝を執り行いました。
13年かかりましたが、97社全ての一の宮神社への奉納演奏を完了しました。
入江先生は既に平成17年1月13日に他界されています。
ですから綾瀬にある入江先生のお墓参りに行きご報告をしました。
墓前で御朱印長を広げて、全社演奏奉納を完了したことをご報告をしました。
入江先生と実際にお会いしたことは実は数度しかありません。
私は一の宮参拝会の発起人としての入江先生しか当時は知りませんでした。
教育者としての入江先生は全く知りませんでした。
それを知ったのは、一の宮演奏奉納演奏の旅の終盤です。
既に96社を周り、後残すところ、氷川女体神社ただ一社という時期に知る機会に巡り会いました。
一の宮神社巡拝会主催の式典「一の宮巡拝会10周年記念・尾張一の宮シンポジウム」で、その日も私は奉納演奏を行いました。
演奏後私に話しかける女性がおり、その女性は、入江先生の側近で活動をされて来た人でした。
最も入江先生のお側で移動教室の歩みを見て来た人だったのです。
そしてなんとプロミュージシャン時代の私のライブを見に来ていたお客さんだったのです。
そのことも重なり、話が弾み、彼女の話から初めて教育者としての入江先生を知ったのです。

幼児教室子供の天国で移動教室始まる

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彼女から後日一冊の本を渡されました。
この本こそ、移動教室の集大成の記録、入江先生著「移動教室五十年野外教育への道」でした。
教育にとって大事なことはたくさんありますが、体験学習ほど根幹的な提唱は他には無いと私は思いました。
それらの実現に向かって多くの人の思いが束ねられ、次々と本当のことになっていく様子は圧倒でした。
私は発達障害児を中心に音楽教育を行っていましたので、これが大事だということは痛切していました。
私は私なりにその意思を次ぎたいという思いが込み上げました。
その思いを入江先生の秘書役だった彼女、梅山さんに話した所、賛同してくれました。
当時私の主催する学校ミューズアート音楽学院は音楽教育が中心であり、音感教育の延長に子供の教育がありました。
そのため、学院の活動が中心となるため、どうしても移動教室の実現は後手となり時間だけが過ぎていきました。
しかし今年2013年6月に幼児教室子供の天国がスタートしました。
子供の天国開業にあたり、移動教室の実現に向けての計画を具体化していきました。
秘書役であった梅山さんは、入江先生の想いを知り、移動教室を実現していきたいという想いがとても嬉しいと言ってくれました。
そして移動教室の運営に梅山さんが加わってくれました。
そしてついに、その活動開始の報告を当サイトで発信することが出来ました。
名前も、入江先生はじめ当時の人たちがそう呼んでいたとおり、移動教室と名乗ることとしました。
幼児教室子供の天国|移動教室とは04
夢はカンガルー島に子供達はじめみんなを連れて行く事です。
南オーストラリア州アデレード沖に浮かぶ島で、古代の動植物が今でもそのまま生息しています。
生きた化石エキドニ、3億5000年前の石灰期の植物ヤッカが生息しています。
入江先生率いる子供たちが、海外移動教室として何度も訪れているところです。
必ず実現させますので楽しみにしていてください。
日帰りのものから、海外遠征まで幅広く移動教室を企画してまいります。
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