幼児教室子供の天国・好奇心探求講座とは


幼児教室子供の天国では、保護者の方のために教養講座、好奇心探求講座を開いています。
好奇心探求講座では、宇宙物理学や脳科学のような難解と思われている学問を、誰にでもわかるように講義をします。
そんなものを解る必要が無い、知っても仕方が無いと思うのは当然です。
しかしなぜこれをしているのか?
それには理由があります。
勉強がつまらないのは、教養のためでは無く、学歴取得が目的となっているからです。
自分が知りたいことを自分の意思で勉強をすることはとても楽しいのです。
それを知って欲しいのです。
実際に知りたい、なぜだろうと思ったことを追求る。
そのヒントや答えを語る講義であれば、食い入るように聞き入り、夢中になるはずです。
それが本来の正しい知的欲求のあり方です。
それにしても宇宙物理学や脳科学とは、テーマが広大過ぎる、専門的過ぎると思うのは当然でしょう。
しかしそれにも理由があります。
折角資格や試験のためではなく、自分から進んで勉強をするわけですから、それなりことをしても心が躍りません。
どうせやるなら、一番困難だけれども一番面白いことをした方がやりがいがあるし楽しいです。
勿論他にも面白い勉強はありますが、幼児教室子供の天国ではこの二つを軸にしています。
どうしてこの二つが軸なのかというと、どちらも人間の脳で理解するのには限界がある学問だからです。
宇宙に働く時間や空間の法則の中から私たちは産まれてきたわけですから、当然その全てを知るには限界があります。
また、物事を理解するのは脳なので、脳自体のことを完全に理解することは出来ません。
絶対に解明出来ないと言うのは、なんとも知的好奇心をかきたてます。
記憶の定着と発想力の発達の仕組みは、過去に覚えたものと、今脳が認識したものを照らし合わせることで、より強固になります。
物事の仕組みをできるだけ知っている方が当然脳の発育の良いのです。
発達障害者全般の人が脳の発達においてなぜ不利なのか?
元となる知識が乏しいため、新しく脳が経験した情報に対しての分析が一般の人に比べると単純となるからです。
それまでに記憶された知識自体が少ないと、新しく脳に入った情報と関連つけるものが少ないため発想が単純になってしまうのです。
だから衝撃や驚きも一般の人ほどではありません。
すると印象にも残りにくくなり、記憶の定着がさらに不利になります。
例えば警察官にいきなり腕を掴まれたとしたら、かなり驚くはずです。
警察にそうされると言うことがどういう事なのかを知っていれば、ドキッとします。
しかし社会概念も警察も知らなければ、それはただ手を掴まれたとしか思わないはずです。
その差の積み重ねが、人間の知識力、思考力に雲泥の差が生まれるメカニズムです。
緊張感や危機感がなければ、自分で何とかしようと言うモチベーションが生まれません。
だから自分で解決したり、考えたりする力の差がどんどん開いていくのです。
その逆を返せば、元となる社会の仕組み、世界、宇宙、その背景に働く物理法則をより深く知っていることは有利となります。
新しく情報と出会う度に、脳はそれらをベースに物事を感じ取り結びつけて考えるからです。
同じ事を経験していても、その事実から脳が結びつける量は人によってまるで違うのです。
宇宙物理などの難関なことを研究する専門家の人がとびきり頭が良いのは、それを研究しているからだけではありません。
それらを常識として生活しているからです。
些細な日常現象からも、多くの発見をします。
何かコメントを求められれば、人にはない視点で、驚くべき発想を盛り込みながら話しが出来ます。
それは今見て感じたものを照らし合わせる脳の質が違うからです。
質と言われてしまうと、生まれながらの機能的なものはどうすることも出来ませんが、その後ベースとなる概念を努力で豊富にすることは可能です。
だから、宇宙物理学をお勧めするのです。
もちろん勉強しようとして難しくて解らなかったら意味がありません。
誰にでも解るように工夫をしています。
工夫と言っても単純なことです。
専門家がどういう意味でそう定義しているのかを解明し、日常的な意味に噛み砕いて説明しているだけのことです。
すると驚くほど解り易くなります。
とにかくやってみるしかありません。
人生バラ色になります。
見聞きする全ての捉え方が変わります。
レオナルドダビンチのあの発想の源は、自然の観察によるものです。
同じものを見ていても、捉え方がまるで違うし、その都度脳が強化されていくのでどんどん発想が豊になっていったのでしょう。
その気持ちが想像出来るようになるかもしれません。
ギフテッド、サヴァン傾向のあるような頭が良過ぎて一般の授業が退屈な子供にも最適です。
大人の専門家が使う知識的な言葉を極力裂け、当たり前の言葉で、とびきり深い知的探求の機会を提供しているわけですから、そういう子供たちにはぴったりです。
ギフテッドの子供たちの興味は、この世界に自分が没頭するに値する物事があるのかどうかです。
それが知りたい気持ちを押し殺しされ、皆と同じ授業を受けるしか方法が無いと聞かされると、彼等は生き甲斐を失います。
だからそうではなく、大学以上に進学すれば、専門的に学べる学問がよりどりみどりであることを一番最初に伝えるべきです。
将来こんなにわくわくする勉強が待っていると先に教えてしまうわけです。
今は退屈な授業を受けていても、大人になれば相応しい学びの場があることを教えるのです。
そうすれば、学校へ行く意味を違う角度で伝えられます。
ギフテッドと思われる子供に義務教育に行く理由を納得するのは難解です。
どう説明したら良いのでしょう?
色々試行錯誤を繰り返した結果、私はこう答えを出しました。
それは出会いのためです。
人とは人との繋がりがあってそう呼ぶもの。
自分がどんなに確立していようと、孤独な人は真の意味では人とは呼べない。
だから生涯を通して出会いをし続けて行く事は大切なこと。
自己探求と同じくらい、他人の立場を理解し、気持ちを汲めるようになることはとてお大切なこと。
だから君にとっては学校は勉強を学ぶと意味以上に、人を学び、感じて一緒に楽しむところなんだよ!
実際にそう説明してきました。
彼等にとって、心が躍るような知的好奇心を探求する場と、それを共に学ぶ仲間との出会いは不可欠と私は思うのです。
これらの理由と思いで、私たちは好奇心探求講座を開校しています。
またWEBでも講義内容の一部を公開しています。
面白そうと思う所から読んでみるのもお薦めです。